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カナダの歴史History of Canada

カナダの簡単歴史まとめ(先史時代から近代まで)

先住民の時代のカナダ;
4万年前の氷河期に、シベリアと陸続きになっ ていたベーリング海峡を人類が渡り、、モンゴロイドがシベリアから北アメリカ大陸に上陸し、現在のインディアンやイヌイットなどの最初の人類がカナダの地に住みつき先住民となります。ファースト・ネイションズと呼ばれ、氷原や森林での狩猟生活を営み多くの部族に分かれて生活していたと考えられています。紀元前2000年ころから、磨製石器・骨角器・樹皮製カヌーが用いられたと考えられております。西暦800年ころになり土地と食糧をめぐる共同体の間で戦争が起こるようになりました。

ヴァイキング時代;

西暦1000年頃に北米へ最初に上陸した西洋人は北ヨーロッパのヴァイキングと言われる漁業民がアイスランドを経由してニューファンドランド島に到達した人々でした。しかし、ヴァイキングはカナダに長くは留まりませんでした。

大航海時代;
1497年、イタリア生まれの航海家ジョン・カボットがイギリス(ヘンリ7世)の派遣により、アジアに到達する西北航路を発見を目ざしていた途中にニューファンドランドの海岸(現在のノヴァ)とケープ・ブレトンにヨーロッパ人として最初に北米大陸に上陸しました。
その後、豊かなタラ漁場だったこの海域はに、イギリスやスペイン、ポルトガル、フランスなどの漁師が乗り出しました。イギリスはこの段階ではこの地を領有しようとはしませんでした。
1534年、フランスのフランソワ1世がジャック・カルティエにセントローレンス川流域を探検しさせ 、この地をカナダと名付け、セントローレンス湾沿岸の領有権を主張し、この地をフランス領とすると宣言しました。
1583年、 ニューファンドランド島が英国最初の海外植民地となりました。
1600年代 - フランス人、イギリス人、オランダ人が毛皮の交易で抗争。ヨーロッパ人は先住民の間の対立を利用し、先住民と同盟を結ぶ。

17世紀〜18世紀、北米植民地戦争時代(イギリスとフランスの領地争奪戦)
1603年、フランスのアンリ4世の時代に植民地化を押し進めました。
1608年、フランス人のサミュエル・ド・シャンプランが要塞のある交易所ケベックをセントローレンス川中流域に創設し、フランスとして植民地経営を開始しました。
1627年、ルイ13世の宰相リシュリューはフランスの北米植民地「ヌーベルフランス」を統治・開発するためにヌーベル・フランス会社を設立し、植民地経営を会社に委ねました。植民の主な目的はヨーロッパで帽子の材料とされて需要が高まっていたビーバーの毛皮などのインディアンとの毛皮交易でした。
1642年、フランスはさらにモントリオールにも拠点を設け、ルイ14世のもとでコルベールがヌーベル・フランス会社を廃止し植民地を王領(直轄領)としました。そしてフランスは五大湖地方からミシシッピ川流域に南下して植民地を拡大しました。
1670年、 イギリスは17世紀の初めハドソンを派遣して、北アメリカ大陸の北を通ってアジアへに抜けるルート(北西航路)を探索させたますが失敗しました。その後、ハドソン湾地方が豊かな毛皮産地であることに注目し、ハドソンロンドンの交易商人がハドソン湾会社を設立しハドソン湾へ流れ込む河川地方での交易権を所有しインディアンとの毛皮貿易を開始しました。
1682年、ルイジアナとして領有しました。イギリスはさらにカナダ西部の内陸地方にも進出しますが、フランスとの競争が激化していきました。
1701年、フランス人と 30の先住民族がモントリオール近くで和平協定を締結しました。
1701〜1714年、スペイン王位の継承者を巡ってヨーロッパ諸国間で行われた戦争スペイン継承戦争(北米ではアン女王戦争)では、この戦争において北アメリカ大陸で行われた局地戦の末、
1713年、ユトレヒト条約ではニューフアンドランド、アカディア、ハドソン湾地方をイギリスに割譲し、フランス領はケベックを中心としたセントローレンス川流域から、五大湖地方、ミシシッピ流域のルイジアナに及ぶ地域となりました。
1755年、アカディア人が忠誠の誓いを拒み、ノバスコシアから追放され約半数まで減少しました。
1756〜1763年、七年戦争と並行してフレンチ・インディアン戦争が起こり、優位だったイギリス軍がフランスの拠点であったケベックをまでを占領しました。
1763年、フランスはカナダ側の大部分をを放棄することとな、パリ条約においてフランスカナダ領がイギリスに割譲さ、イギリス領カナダ植民地が成立することとなりました。
1774年、ケベック法を制定し、ケベックのフランス系住民(約65000人)に対し、そのカトリック信仰、フランス語の使用、フランス民法の適用を認めました。
1775年、アメリカ独立戦争がおこると、独立に反対した王党派(ロイヤリスト)がイギリス領カナダに大量に移住しました。アメリカ合衆国の独立勢力はカナダも加わることを働きかけましたが、実現できずカナダはイギリス植民地として残ることになりました。
1793年、マッケンジーがロッキー山脈を越えて大陸横断に成功し、植民地は太平洋岸にひろがりました

カナダの独立と近代史

1867年、
イギリス植民地としてのカナダは、南北戦争の時にイギリス議会が北アメリカ法を制定し、イギリスの海外領土としては初めて認めらた自治領となりました。これによってイギリス帝国の下で自治権を有する一つの「カナダ連邦」という連邦国家となり、オタワに連邦首都が置かれました。自治が認められたこの年7月1日を現在のカナダでは独立記念日「カナダ・デー」としています。
1885年、カナダ太平洋鉄道が完成。
1914年〜1919年、イギリス帝国の一員として第一次世界大戦に参戦。
1919年、国際連盟へ加盟 。
1926年、バルフォア宣言により、イギリスから外交権を獲得。
1931年、ウエストミンスター憲章によりカナダの独立が承認され、イギリスと対等な主権を持ち、実質的な独立を達成しました。
1939年、第二次世界大戦後にイギリス連邦の一員として参戦。ヨーロッパ戦線に派兵しノルマンディー作戦にも参加しました。
1949年、第二次世界大戦後に1713年からカナダとは別なイギリスの自治領であったニューファンドランドがカナダ連邦に加わわりました。また、北大西洋条約機構(NATO)が結成されると加盟し、西側軍事同盟の一員に組み込まれました。
1952年、カナダ人の総督が初めて任命されました。
1965年、ユニオンジャックを配した国旗に代わって、現在のカエデを図案化したカナダ国旗を制定しました。
また、このモントリオール万博の頃からフランス植民地であったケベック地方ではケベック民族主義の傾向が著しくなりました。
1969年、ケベック地方に考慮し英語とフランス語の両語を対等な公用語とする事が定められました。
1970年、ケベック分離主義者のテロ活動が活発かしました。
1980年、
国歌「オー・カナダ」を選定しました。
1980年と1992年、住民投票の結果では、いずれもケベック分離独立は否決されました。
1982年、
カナダ憲法によって、イギリスから憲法改廃権を完全移管しました。
1999年、カナダ政府は先住民族であるインディアンやイヌイット自治権を承認しました。

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